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コラム 第12回(2009.06.11

 

取引基本契約書の英訳について(1)

 

英訳のポイント解説シリーズ(と勝手に命名しておく)の第3弾は、取引基本契約書である。「取引」も「基本」も非常に抽象度の高い言葉であるから、この契約書がカバーする対象は広く、盛り込まれる内容も様々である。分量をみても、数ページで終わる短いものもあれば、数十ページに及ぶ長いものもある。

 

そこで、今回は1つの契約書を最初から最後まで訳していくのではなく、取引基本契約書に含まれるさまざま条項を、複数の契約書から適宜ピックアップして訳していくことにしたい。したがって、以下の例文に出てくる甲乙などの当事者は一定ではないし、取り上げる条項の内容にも一貫性はない。その点あらかじめご了承いただきたい。

 

また、いつもと同じ断り書きになるが、読者として想定しているのは、あまり翻訳会社を使った経験のない発注側企業の担当者であり、プロの翻訳者を対象とするものではないので、この点もあらかじめお断りしておく。

 

さて、契約書の表題と前文から。

 

[和文]

取引基本契約書

 

____に主たる事業所を有する株式会社AAA(以下、甲という)と____に主たる事業所を有するBBB株式会社(以下、乙という)とは、甲乙間で行われる売買取引(以下、本件取引という)に関し、次の通り取引基本契約(以下、基本契約という)を締結する。

 

取引基本契約書のなかの「基本」という言葉の訳は2種類考えられる。basicmasterかである。どちらを使っても問題ないのだろうが、いつでも少し迷うところである。筆者自身の語感では、basic agreementというと「基本的合意」で、たとえば、新聞の見出しなどでよく見かける「A社とB社、経営統合で基本的合意」というような使い方になる。まだ細部は詰めていないし、今後の展開ではご破算になる可能性もあるが、一応トップ同士の合意ができたという感じである。

 

これに対しmaster agreementは明確な契約関係を示すものであり、これから取引を開始するのだが、個々の取引契約(個別契約=individual agreements)にいつでも適用される共通の(もしくはより抽象度の高い)条件があるのであれば、それをまとめておこうといった意味合いである。したがって、筆者はmaster agreementとすることが多い。

 

「合意に達する」を英訳するとreach an agreementだが、考えてみると、日本語の「合意」「契約」「協定」にはそれぞれ意味やニュアンスの違いが多少あるように思うが、英語にしてしまえばみなagreementである。このあたりの問題は、簡単なようで難しい。信用、債権、貸方などの言葉が、英語にしてしまうと全部creditになってしまうのと同じようなものだろうか。詳しいことは知らないが、もともとこの種の言葉が明治期に翻訳語として生まれたことに関係があるのだろう。

 

さて、その他は秘密保持契約の場合と同じなので、試訳は次の通りとなる。

 

[英訳]

Master Transaction Agreement

 

AAA Co., Ltd. (hereinafter referred to as "AAA"), having its principal place of business at_______, and BBB Co., Ltd. (hereinafter referred to as "BBB"), having its principal place of business at_______, make and enter into this Master Transaction Agreement (hereinafter referred to as the "Master Agreement") with respect to the sale and purchase transactions to be conducted between AAA and BBB (hereinafter referred to as the "Transaction"), as follows.

 

本文に入って、まずは基本契約の定義と適用範囲について。

 

[和文]

 

第1条(基本契約)

1.基本契約は、甲乙間の売買取引に関する基本的な事項を定めたもので、甲乙協議して締結する個々の取引契約(以下、個別契約という)に対して適用される。

 

先ほど述べたことがここに定義として示されている。すなわち、基本契約とは「個々の取引契約に対して適用される、甲乙間の売買取引に関する基本的な事項を定めたもの」である。

 

定める」にはstipulate, set forth, provide for などの訳語がある(例によって、筆者には厳密な使い分けはできないが)。「基本的な事項」の「基本的な」は、個々の契約の基礎となるという意味だから、文字通りbasicでよい。「協議する」は通常consultと訳す。名詞ならconsultationである。「適用する」「適用される」はapplyという動詞を使用する(名詞はapplication)。「適用範囲」であればscope of applicationとなる。個別契約の定訳はindividual agreementspecific agreementという訳もときおり見かけるが、individual agreementが一般的だ。どれも契約書を英訳する場合の基本単語なので、よく覚えておいてほしい。

 

ここまでの試訳を記す。「甲乙間の」は「両当事者間の」と同義なのでbetween the partiesとしたが、むろんbetween AAA and BBBでもよい。

 

[英訳]

 

Article 1 (Master Agreement)

1. The Master Agreement shall stipulate basic matters with respect to sale and purchase transactions between the parties, and shall apply to individual transaction agreements (hereinafter referred to as the “Individual Agreements”) concluded upon consultations between the parties.

 

さて、基本契約は個別契約の基礎となる契約であるが、実際に個別の取引が始まった場合には基本契約との間でズレが生じる場合もあり得る。そういうときのための断り書きを入れておかなければならない。

 

[和文]

 

.基本契約の条項と個別契約の条項との間に相違があるときは、個別契約の条項を優先して適用する。

 

相違discrepancy。信用状取引で、船積書類と信用状との記載事項に相違がある場合にディスクレというが、これもdiscrepancyである。基本契約の条項と個別契約の条項との間に相違があるときは はそのまま訳してIf there is a discrepancy between the provisions of an Individual Agreement and the provisions of the Master Agreementでよい。provisions が二度出てくるので、2番目のほうをthoseで置き換えてもよい。Individual Agreementの前に不定冠詞をつけたのは、数ある個別契約の中の任意の一つの意。これに対しMaster Agreementは一つしかないのでthe Master Agreementである。

 

〜を優先して適用する」はいろいろな訳が可能と思う。この場合の日本語では「を優先して」という表現に実質的な意味はないので、たんにapplyを使ってthe provisions of the Individual Agreement shall apply.としてもよい。他に、こういう時に使用するprevailという便利な動詞がある。英和辞典をひくとprevailには「普及している」の他に「優勢である」「支配する」などの訳語がついている。同様にcontrolという訳語も考えられるが、あまり使っている例はみない。目的語をとる構文であればsupersedeなども使える。

 

念のため研究社の『新和英大辞典』で「yusen(優先)」の項を調べてみたら、驚くべきことに「他の法律の規定と矛盾する場合は、この法律の規定が優先する」という例文が出ていた。『新和英』の英訳はWhen there is a contradictory stipulation in another law, the provisions of this law shall control.である。評価は読者におまかせするが、それなりに味わいのある英訳だと思う。

 

[英訳]

 

2. If there is a discrepancy between the provisions of an Individual Agreement and those of the Master Agreement, the provisions of the Individual Agreement shall prevail.

 

 

免責:本コラムの中の英訳はあくまで参考目的に記載しています。読者がこの英訳を実務に転用、流用などして被った被害に関して著者は一切責任を負いかねますので、あらかじめご了承ください。

 

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