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コラム 第1回(2006.12.15)

 

翻訳会社の正しい見つけかた、選びかた

 

急速に進展するグローバリゼーションの結果、英語抜きでは仕事がしにくくなった昨今。学生時代にはやばやと語学から脱落した人はむろんのこと、大学で英語・英文学を専攻した語学通でも、短期間でまとまった分量の英語に目を通し、翻訳するのはたいへんなことだ。その上、海外関連のビッグプロジェクトともなれば、関係する社内外の人間の数も多い。スピーディにことを運ぶには、英語のままの資料を人に強いるわけにもいかない。どうしても手早く日本語に移し替える必要がある。そこで、翻訳会社の手を借りる仕儀となる。

ところでこの翻訳会社という代物、門外漢にはなかなかわかりにくい存在だ。納期を決めたはずなのに当日になって「すみません、一日遅れます」と電話をかけてくるところや、納期どおりに届いたはいいが、まるでできの悪い学生が辞書も引かずに訳したとしか思えないような日本語が書かれていたりする。電気製品や自動車、あるいはパソコンといった「製造物」の世界には、一定のスタンダードというものがある。品質上の欠陥や納期遅れは当然リコールやペナルティの対象となる、というのが常識だ。ところが、翻訳業界では必ずしもこのような常識が通らないように思える。翻訳会社の選び方次第ではたいへんな目にあう可能性があるのだ。

そこで、これから初めて翻訳会社を利用するというかたがたのために、翻訳会社の仕組みやその正しい選び方、翻訳で失敗しないための方法などをわかりやすく説明してみる。

 

翻訳で失敗するとはどういうことか

まず、翻訳で失敗すると会社の消滅にいたることがあるという怖い話から。200111月に中堅損保の大成火災海上(株)が会社更生手続開始の申立てをおこない、事実上倒産した。9.11のテロで倒壊した世界貿易センタービルの再保険金支払が直接的な引き金となったようだが、破綻を発表する当時の社長のコメントには「翻訳が間に合わなかった」という意味の言葉があった。この、最後の土壇場になっての「翻訳が間に合わなかった」という言葉の意味するところはいったいなんだったのか。日本の他の金融機関から支援を受けるために、再保険の契約内容を日本語に翻訳する必要があったのか。それとも外資による救済を受けるために、日本語の資料を英語に翻訳する必要があったのか・・・。いずれにせよ、たかが翻訳と軽く見てはいけないことを示す端的な例である。

 

悲劇から何を読み取るか

大成火災の悲劇から読み取れる教訓は数多いが、一番重要なのは、その場になって慌てて翻訳をするのでは間に合わないということだ。転ばぬ先の杖こそ、いつの場合も真理なのである。対処方法は二つある。

 

@重要文書(特に契約書)は必ず翻訳しておく。

契約書というのは会社にとって最も重要な文書のひとつである。上述の例のように、ときには会社の死命を制することすらある。したがって一朝、事が起こってからでは遅い。非常の事態に備えて、必ず翻訳しておくことが必要である。グローバリゼーションの進む昨今、バイリンガル・マネジメントの一環として重要文書をふだんから複数言語で管理する会社も増えてきている。これならいざというときに機敏に判断ができ、行動に移せる。

 

A急なときにいつでも頼めるように、あらかじめ翻訳会社を選定しておく。

契約書のような重要文書はあらかじめ翻訳しておくとしても、何から何まですべて翻訳しておくわけにはいかない。それに、一刻を争うビジネスの現場ではどうしたって緊急に翻訳しなければならない文書が突然発生するものだ。こういうときの文書というのは、当然のことながら赤の他人の翻訳会社にポンと渡せるようなお手軽なものではない。秘密漏洩のリスクを担保した上で、かつ内容を正確かつ的確な文章でスピーディに翻訳できるスタッフと体制の整った翻訳会社であるかどうかを見極めた上でなければ、頼めるものではない。しかし、一刻を争う状況のなかで果たしてこんな作業ができるだろうか。その間にも事態はどんどん推移(多くは悪化)してしまうだろう。つまり、翻訳の必要が生じてから翻訳会社を選ぶのでは遅いのである。こういう非常の大事こそ、平時に片付けておかなければならない。

 

翻訳会社の仕組み

ここで翻訳会社というものの中身を少し見ておくことにしよう。ひとくちに翻訳会社といっても、100人を超える規模のものから個人事業まで実に数多く存在するが、たいていは、営業やコーディネートを主業務とする社員と、自宅で翻訳をするトランスレーターで構成されている(もちろん、総務や経理といった仕事をする社員もいるだろうが)。社内にトランスレーターを常駐させている翻訳会社は少なく、常駐させているとしても人数は限られている。つまり、大半の仕事は翻訳会社の営業マンやコーディネーターを通して、在宅の翻訳者の手に渡る。大手の翻訳会社になればなるほどこのトランスレーターの数は多い。したがって、どの仕事がどの翻訳者の手にゆだねられるかは、その時々の状況に応じて変わる可能性が高い。また、専属制をとっているのでない限り、一人の翻訳者に複数の翻訳会社が依頼していることも多い。つまり、別々の翻訳会社に頼んでも、実際に翻訳する人は同じということもあり得るのだ。特に、翻訳者の数が極めて限られている言語の場合、この可能性はきわめて高くなる。北欧語を専門とするある翻訳者のもとに、ある日3つの翻訳会社から仕事の打診があったが、文書の内容はどれも同じであった、という話がある。要するに、あるメーカーがフィンランドの提携先から送られてきた文書を日本語に翻訳しようとして日本国内の3つの翻訳会社に見積もりを頼んだのだが、3社とも同じ翻訳者に翻訳の打診をしたというのである。ジョークなのか実話なのか、筆者には判断がつかない。

 

翻訳会社の推奨する「正しい翻訳会社の選び方」

さて、ではどうやって(何を判断材料として)翻訳会社を選ぶのが賢明なのだろうか。この重要なテーマに関しては、実は翻訳会社みずからが回答を示してくれている。「翻訳会社の選び方」というキーワードでウェブ検索すると、たちどころに十指にあまるサイトを見つけることができるのだ。そのほとんどが翻訳会社である。内容は会社によりまちまちで、ほんの数行のものからワープロで数頁に及びそうなものまであり、中には「無料小冊子『翻訳会社の正しい選び方』をプレゼントします」というのもある! 翻訳会社の正しい選び方は、たんに顧客側だけでなく、翻訳会社側にとっても重大事であることがわかる。

 

ではまず、ウェブ検索でトップに選び出された翻訳会社の「翻訳会社の選び方」を見てみよう。

 

翻訳会社の選び方

真の翻訳サービスとは何だろうか? 翻訳会社としてのXXX(翻訳会社名)は常にそのことを念頭においています。

XXXでは理想の翻訳サービスをめざし、心の通うコミュニケーションをモットーにしています。お客様一人ひとりのご希望をお伺いし、臨機応変に翻訳のプロセスをデザイン。だから、スピード、品質、価格のバランスがとれた翻訳サービスが可能です。専門分野も一般のビジネスをはじめ、IT、医療、法律など多岐にわたっています。

ことばを「伝える」にとどまらず、心まで「伝わる」それがXXXのサービス。ことばのプロフェッショナルが皆様のご要望にあった最高&最適な形の翻訳サービスをご提供したいと考えています。

 

これで終わりである。何かだまされたような気がしないだろうか? これでは翻訳会社の選び方というより、自社のサービスポリシーの開陳、より端的にいえば単なる宣伝だ。そもそも、これほど日本語のセンスのない会社に、翻訳を依頼する気持ちになれそうもない。

 

もう少し中身のあるものを、ということで別の翻訳会社のサイトをいくつか当たってみた。「間違いだらけの翻訳会社選び」「翻訳発注に失敗しない7つのポイント」「間違いのない翻訳会社の選び方」など、タイトルもさまざまだ。翻訳会社が自社のサイトに掲載しているものだから、当然のことながら自社の強みを引き出せるようなポイントに絞って書かれている。とはいえ、まったくの手前味噌かと言えばそうではなく、客観的にみて多くの示唆が得られるといっていいだろう。

 

これらのサイトから特に重要なものと思われるものをピックアップし、これに筆者自身が重要と考えるポイントも加えて、「翻訳会社を選ぶための7つのポイント+1」をまとめてみた。

 

その1:守秘義務や個人情報の取り扱いはどうなっているか。

翻訳そのものの話に入る前に、まず秘密保持について確認しておこう。法務文書はたいていが企業秘密に関わるものである以上、この点からスタートするのが自然である。秘密保持契約書の雛形が和文・英文とも揃っているかどうか、個人情報の取り扱いについてはどうなっているかを聞いてみよう。相手の答えを聞いていれば、何やら翻訳の品質水準まで透けて見えるような気がするはずである。なお、当然のことながら、これらのことは翻訳会社の担当者と面談して確認するのがよい。

 

その2:料金だけで選んではいけない。

すでに見たように、会社の存亡にかかわることも多いのが法務文書である。価格だけで決めるというのははなはだ危険だ。かならず翻訳の進め方、品質管理の仕組みについて確認することが必要である。といって、翻訳プロセスは特に複雑である必要はない。複雑で、工程の多い体制というのは、一見もっともらしいが、宣伝のためのシステムであることが多い。翻訳というのは高度な作業ではあるが、決して複雑ではない。翻訳者、チェッカーが有機的に組み合わされているか、品質レベルを最終的に保証できるような社員がいるかどうかが決め手となる場合が多い。

 

その3:専門分野を絞り込んでいるか。

他の多くの世界と同様、「なんでも出来ます」というのはあまり信用できない。他の分野のことはいざ知らず、法務文書については多くの経験・実績をもった翻訳者が揃った会社を選びたい。

 

その4:複数の翻訳者による作業に習熟しているか。

大量の文書を短期間で翻訳するには、複数の翻訳者で作業しなければならないことが多い。だが、5人の翻訳者で5分割して訳したものを単につなぎ合わせるだけ、というのではいかにも寂しい。複数翻訳者のチームによる翻訳というのは、経験が正直にものをいう。必ず確認しておきたいポイントである。

 

その5:1つの案件について継続的なフォローをしてくれるか。

契約にせよ訴訟にせよ、法務文書は同じ案件について継続的に文書が作成されていく。一連の文書に対し同じ翻訳者を当てるなど、継続的なフォローをしてくれるかどうかはきわめて重要だ。同じ翻訳者のチームが同一案件を継続して担当してくれることが理想だが、仮にそうでなくても、前回までに資料を読んだ上で翻訳にあたってくれるようでなければ一貫性が保てない。

 

その6:「翻訳者」の育成をしているか。

自社独自の教育プログラムで翻訳者を育てていれば、翻訳方針や品質に関する会社の考え方が翻訳者に十分に浸透している可能性が高い。本格的な学校ではなくとも、翻訳者の研修などを定期的におこなっている翻訳会社が望ましい。

 

さて、最後にもう一つ。その7である。翻訳会社を選ぶ際は、トライアル(試訳を提出させて実力をみること)を活用したい。論より証拠、翻訳の品質レベルを見るには実際に訳したものを見るのがいちばんだ。無料で、あるいは通常の半額などの特別価格でトライアルを利用できる翻訳会社は多い。ただし、ここにも落とし穴はある。トライアルということで特別な力作を送ってくることがあるからだ。これでは、トライアルではよかったが、実際に頼んでみたらだいぶ違っていたという結果をもたらす可能性がある。品質レベルがまちまちだというのは、その都度翻訳者が異なるからだ。品質管理を翻訳者まかせにしている証拠でもある。その6を読み直していただきたい。

 

さて、めでたく翻訳会社が決定したら、次は発注だ。いずれ機会をみて「正しい翻訳発注の仕方」についても述べてみたい。

 

The LEGAL.COMM誌(バベル・プレス刊)より一部改変して転載

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